16年前に起きた自衛隊機墜落の真相…墜落までの13秒の行動に賞賛の嵐…
入間基地で起きた航空機墜落事故
航空自衛隊入間基地所属のパイロット2名が 埼玉県狭山市の入間基地北東約2キロの河川敷に墜落し、殉職した事故。
1999年11月22日午後この墜落事故により、東京電力の高圧送電線を切断。東京・埼玉の約80万世帯で停電する事態に至った。
翌朝の報道では、
と散々罵られ、さらに事故機がT-33型Aジェット練習機と伝えられたためか
と、殉職した自衛官は散々に叩かれ、 名誉を著しく傷つけられた。
2人とも航空学生出身で飛行時間5000時間を超えるベテランのパイロットであったにも拘らず・・・
航空学生は将来自衛隊のパイロット等を養成するコースで第12飛行教育団で約2年間、基礎教育・飛行訓練を受ける。
入隊時からパイロットをめざしているので、技量の優れたパイロットが多いと言われる。
当時の瓦力防衛庁長官が
今回の事故について
と謝罪する事態にまで発展している。
しかし、その忌まわしき事故から一年後。航空事故調査委員会の報告書に挙がった内容に世間の目は一変。
殉職した自衛官のまさに 自衛官たる決死の決断により 多くの命が守られたという事が判明しました。
墜落事故の真相
事故発生時、機長は管制に「 ベイル・アウト(緊急脱出)」と告げていた。
ところが、2名のパイロットは緊急脱出せず機内に留まり、狭山市街地への墜落を回避するための必死の操縦が行われていたとみられる。
「ベイル・アウト(緊急脱出)」告げた時の高度は 高度360mでぎりぎりパラシュートが開く高さだった。
実は、2名のパイロットはベテランでそんなことは十分承知していたのだ。
事故発生当時の機内と管制側とのやり取り
機体が河川敷に向かったことを確認したのは 「ベイル・アウト(緊急脱出)」宣言の13秒後。
彼らは覚悟の死であった。2名のパイロットは助からないのになぜわざわざ脱出装置を作動させたのか。
その答えをあるマスコミのインタビューに自衛官が答えています。
とその自衛官は答えた。
その刹那に2名のパイロットは何を思ったのだろう。家族や友人のことだろうか。
いや、脱出装置を整備してくれた仲間の仕事に間違いがなかったことを伝えたかったに違いない。
それが助かることは無理だと覚悟しながらの脱出装置を作動させる行為につながったのだろう。
彼らの行動は人間の尊厳に満ちたものであった。
この事故は市街地上空で起きたにも関わらず、一般市民に一人も犠牲者を出す事はありませんでした。
それはこの機体に搭乗していたパイロット二人の
という強い使命感があったからこそ。
そんな切迫した状況下でも自分達の命よりも先に一般市民の命を優先したこのベテランパイロットの二人に「パイロットが未熟だったために事故は起こった」という声を上げるのは絶対にあってはならないこと。
日本人としてこの事故の裏には最後の最後まで自らの命を懸けて使命を全うし、一般市民の命を守り抜いた二人の自衛官が存在したということを胸に刻んでおくべきではないでしょうか。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
引用元:https://kwsklife.com/iruma-crash-accident/,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]